決断は直観?直感?とにかく思いついたらやってみたら

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今回取り上げるのはクルム伊達公子さんの言葉で「決断」をするのに彼女が頼った直観について。

 

僕は個人的に直観ではなく直感だと思っている。

 

直観は人生に1度あるかないかの感覚で、僕達が頼るのは直感だと思うからだ。

 

 

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「決断の決め手となるのはやりたいか、やりたくないか。私の場合は直観です。」

 

人間の判断は結局好きか嫌いか

 

やりたいか、やりたくないかは好きか嫌いかで判断する。

 

伊達公子は論理でいいわけせずに直感で判断しろ、つまり自分一人で決めろと言っていると僕はこの言葉から感じる。

 

直観という言葉が使われているのか、直感なのかでこの伊達公子の言葉は印象が大きく変わる。

 

直観には、ゴールまでの道筋が完全に見えて冷静にスタートする壮大な”観る”感覚であり、直感は「今いいこと思いついた」という”感じ”の、ちょっとテンションが上がる感覚が僕にはある。

 

 

そして当然だが、僕は直観を”観た”ことはない。

 

 

僕はいつも何かをするときに、こうしたらこうなって、あぁでもこうなったらどうしよう、ああなるかもしれない、、、う~ん、今回は止めておくか。

 

というパターンで何かをするのをやめてしまう。

 

そんなとき判断なんてものは所詮好き嫌い以上のものは無いんだから、思いついたままやってみたらいいじゃないと考えれば、もしかしたらすぐに行動できるかもしれない。

 

アレントの「自由」

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ハンナ・アーレントは著作「全体主義の起源」において自由をこんな言葉で定義する。

 

「何かを始めるということ」には論理的必然性も、他者からの強制もなく、ただ唐突に「始める」ことができるのが自由である。

 

 

この始める内容が社会的な自由(簡単にいえば法律)に反しない限り、何を始めてもよいということ。

 

ある日突然何かを始めてみようかなと思ったことがあるならば、それは実行したほうがいいことになる。

 

僕達はその瞬間は何にも縛られない自由を達成しているのだから。