WILD(野生)に現代人は戻れるのか?都会でもワイルドに生きる

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僕がこのブログを書くきっかけになったと言っても過言ではない、僕にとってのバイブルの一つである本「脳を鍛えるには運動しかない」

 

 

僕はこの本を読んで運動とは健康を維持するだけでなく、脳を鍛えることができるという事実を知り、トレーニングメニューに有酸素運動を取り入れました。

 

 

ブログにおける情報発信がきっかけとなり、より質が高く、効率のよいトレーニングを探し、いままでのトレーニング内容を見直した結果、僕は人生で最も体調がよい毎日を過ごしている。(以前も書いたが僕は低体温に悩まされていて、平熱は35度前後、夏はクーラーの効いた部屋では寒くて足先が完全に冷えていたので靴下も厚手を履いていたが、現在の体温は36.5度前後で手足は熱いぐらいに暖かくすこぶる快調だ。)

 

 

 

そんな僕の生活の一部を変えた 「脳を鍛えるには運動しかない」著者の最新刊「GO WILD 野生の身体を取り戻せ」が発売されていることを今更知り、一気に読んだので学んだことをまとめてみました。

 

キーワードは”多様性”です、ワイルド(野生)じゃなくてね。

 

 

 

まず最初に言っておきたいことはタイトルを見てこの本を読むことをパスする人がいるだろうと思うほどタイトルがよくない。

 

 

GO WILDと言われたら「現代人が野生の生活を取り戻す?田舎に住めってこと??都会で暮らしている人には読む価値無し???」と思うかもしれないがこの本の主張はもちろん原始人のような生活をするために田舎に住め、自然最高と主張しているわけではない。

 

GO WILD 野生の体を取り戻せ! ―科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネス

GO WILD 野生の体を取り戻せ! ―科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネス

 

 

確かに この本には以下の部分だけを読むとトンデモ本にかんじてもおかしくないようなコトが書かれている。

 

 

・小麦や米など炭水化物を摂取しない

・習慣的なエクササイズは捨てるべき

・糖を含んだ飲み物は絶対に飲まない

・裸足ランニング

 

 

この本が最も主張することは「多様性(バラエティ)」。

 

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「多様性(バラエティ)」を簡単に説明すると

 

 

炭水化物は我々の主食ですが、それだけを食べる生活はダメ、肉や魚・新鮮な野菜・果物・新しい食べ物に挑戦するという本来人間が持っている行動をしないことが問題。

 

 

エクササイズもジムでひたすらランニングマシーンで走るより、トレイルランのように外で、大自然の中を走ったほうが五感を使って走ることができるため多様性が産まれる。

 

 

さらに大自然を走ることにより鼻から森林の香りを直接脳に届けることができる効果もあるようだ。(ようだと書いたのは僕は森を走ったことがないことと、これは本にも書かれているが科学的に測定するのは難しい研究の結果だから。研究内容は森林を歩いたり走ったりするとストレスレベルが下がり気分が安定するらしい。)

 

 

糖を控えるべきなのはそのほうがより多くの食物を処理し、人間がもつホメオスタシスの恩恵を得ることができるからだ。

 

 

決まりきった偏った食事、同じコースを同じ負荷で同じように走ることを止めてみたら、というのがこの本から感じた僕の印象。

 

 

食事や運動に関して僕なりに本を読んで思ったことをこれから書いていくが、書く前に一つ整理しておきたい。

 

 

多様性って何?ということ。

 

 

多様性の定義を固める

 

 

GO WILDという本が主張する多様性は、それぞれの人が読んで感じるべきなので割愛するが、僕にとっての多様性とはなんだろう?

 

 

多用性と多様性という言葉をまずは整理しつつ、多様性の原理と自分の中における多様性について考えをまとめて、新しい知識として多様性を腑に落とす努力をしてみよう。

 

まずは定番の辞書で言葉の定義を調べてみると

 

 

多用:言葉の通り多くを用いる、多忙

多様:いろいろの種類がある様子

 

 

明らかな違いがあるので、間違えることはなさそうですね。

 

 

では多様性をWikiで調べてみるとさらに興味深いことが書かれています。

 

 

幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。

 

 

多様性は英語のDiversityの訳だといわれているので、こちらも語源などを調べて見ると

 

di-《強意》verse「形, 性質を変える」、元々はdiverse,divert という言葉。

 

語幹vert(verse)向けること、回すことを表すラテン語vertereから、意味は「よける、本流から分かれて違うものになる」

 

 ここまで調べた結果からわかったことは、あくまでも本流があってこその「いろいろ」あるという状態なんだろうということがわかった。

 

多様性という言葉自体が持つ意味をなんとなく理解したところで、本から得た学びを整理してみよう。

 

 まずは食事と運動を野生に戻そう(多様性)

 

この本に書かれている内容の基本は運動・睡眠・食事・仲間との信頼関係・マインドフルネス(瞑想)、眺めの良い場所・小川・湖に面する家など自然の中で暮らすとなど、何かを変えてみて自分の中で何かが変わる「引き金」を探し、徐々にライフスタイル全体を最適化していくことだ。

 

 

最も取り組みやすい方法として食事か運動、もしくはその両方を変えることを推奨している。

 

 

といっても食事はカロリー計算など一切必要がなく、自分が好きなものを食べればいい。

 

 

ただし、糖と穀物は避け果物から摂取する果糖も抑える、加工食品は食べず、カロリーは良質な脂肪から摂取する。

 

 

 

オメガ3を多く摂取し、ナッツや新鮮な野菜、サーモンなどの冷水魚、そして牧草を食べて育った肉をたべ、並べく多品目の食品を摂取すること。

 

 

これは驚くほどシリコンバレーダイエットの主張と似ている。

 

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運動に関しては特に推奨される運動はないが、トレイルランやクロスフィットなど戸外で行う運動を、できるだけ仲間とともに行うことで相乗効果が得られると書かれている。

 

 

 

ここで注目するべきは、運動が上手くいっているかの指標は体重の減少や筋肉がついて引き締まった身体になることでもなく、その運動をすることが楽しいと感じるかどうか!!だそうです。

 

 

仲間と一緒に運動をしたほうが運動を楽しいと感じやすいと思われます。

 

 

運動が苦手、どうしても続かないという人はグループで一緒に運動をする活動に申し込むといいかもしれません。

 

 

ジムや自宅で黙々と一人で筋トレや有酸素運動を続けるためには目に見える身体の変化などを感じるまでなかなか運動が楽しいとは思えないので、大勢で何かを一緒にすることから始めるのは初心者にはおすすめなのかもしれない。

 

 

個人的に最も勉強になったこと

 

 

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リラックス方法の一つテレビなどでも紹介される定番のストレス解消法として「完全に一人になり、クラシックなどのゆったりした音楽を聴く」というのがある。

 

 

さらに音楽といえばストレス解消だけでなく、認知症の治療にも効果があると言われるのが大声で歌を歌うこと。

  

 

音楽がなぜ緊張状態を解き、鬱や様々な病気を改善するきっかけにになるのかということの回答になり得る見解が「GO WILD野生の身体を取り戻せ」には書かれていました。

 

 

本で紹介されているのは緊張した時に迷走神経のブレーキが効くかどうかによって緊張状態から脱することができるのだが、その迷走神経は呼吸でコントロールすることができる。

 

 

楽器を吹くこと、リズムに合わせて歌を歌うこと、これらはヨガや瞑想よりもずっと気楽に取り組むことができる呼吸を整え気分を落ち着かせる古代から続く人間が獲得してきた文化的な知恵だそうです。(音楽を奏でない民族・文化は存在しない)

 

 

僕たちはスマホやipodによっていつでもどこでも音楽を聴くことができるようになりました。

 

 

その結果大勢で集まって歌ったりリズムを取ったりする機会が減った可能性があり、もしかしたら、それは過去から続いている人間が文化的に得てきたリラックス方法のうちの1つを失いつつあるといえるのかもしれません。 

 

 

 

そしてもう一つ、笑顔の効果。

 

 

鏡の前でおもいっきり目の端にシワがよるほど笑顔をつくると気分がよくなるのは、目の端が迷走神経に繋がっているから。

 

 

 鏡に向かって毎日笑顔の練習をするというのは、迷走神経を活性化させるのでリラックスできる。

 

 

多様性とは少しづつ変えること

多様性の言葉の定義で学んだことは、多様性とはいろいろあることだけど、それはあくまでも本流があってこそのものであるということだった。

 

 

「GO WILD」は人間が文明を築きあげたことによって、進化によって得てきた様々な利点を失わせていることもあるという警鐘を僕達に教えてくれている。

 

 

だからといってすぐに大自然の中を裸足で走り、炭水化物を一切取らず、水しかのまず、森や海や湖など大自然に囲まれた田舎に引っ越すべきだと主張しているわけじゃない。

 

例えば、裸足ランはいきなり裸足で走ると靴を履いていたときと同じ走り方では逆に怪我をするので、徐々にフォームを修正しつつ、長期的なスパンをもって裸足に移行しなければ危険であるという実験もある。

 

 

いきなり多くのものをたくさん取り入れる必要はない。

 

 

大事なことは自分の本流から類似性を見つけて、幅広く性質の異なる群を作ること。

 

 

まずは自分のライフスタイルをしっかりと把握し、何なら新しいことを取り入れやすいのかを考え、明確にすることから始めればよいが、何かを初めてみたいと思いたつことに論理的な理由は存在しない(ハンナ・アレントの定義する自由)。

 

 

何か新しいことを論理的な理由もなく始めることができることこそが人間の持つ「自由」だが、その始めていことが現在のライフスタイルとあまりにも乖離している場合、継続していくのが難しいかもしれない。

 

 

その微調整をすることが多様性をもつためにポイントなのかもしれない。

 

 

追記「Born to RUN」副題:走るために生まれた読みました

 

BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”

BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”

 

 

この本は「GO WILD」に度々出てくる本で、走る民族であるタラウマラ族とウルトラランナーといわれる100キロマラソンなど超長距離を走るランナーとの交流・対決を軸に、人類にとって走ることの意味とは何だったのかを解き明かす、ドキュメンタリーと学術書が一緒になったような本です。

 

 

本には様々な正しい「走る」フォームや、なぜ人間は走ることができるようになったのかについての説が紹介されています。

 

 

僕がもっとも面白いと思ったのは人間が走る目的は「速さ」ではなく「持久力」に特化して進化してきたという説。

 

 

速く走って獲物を捕まえるのではなく、ずっと獲物を追いかけて獲物が死ぬまで走り続けることができるのは人間だけだという説。

 

 

ここで本文中に著者が研究者に面白い質問をする「走ることにより食料を得てきた人類にはDNAに走ることの大切さが刻まれているはずであり、走ることにより人間が進化してきたのであるならば、なぜ走ることが嫌いな人間が存在するのか?」

 

 

ひとつ目の理由は、食料を得るために過去の人類が使っていた”走り方”は失われてしまった走法であり、現在のランナーとは異なる走法であること。 

 

 

※フォアフットランやベアフットラン(裸足走法)は僕が調べた限り、初心者やランの知識が少ないランナーは怪我のリスクが大きいと思われる。フォームの指導や練習メニューなどを組んでくれる熟練ランナーなどの指導者が必須に思える。それでもどうしてもためして見たい場合は「少しずつ、ゆっくり裸足に移行する」ことを念頭におき、硬い地面ではなくやらかい地面でためしてみるべきだ。

 

 

二つ目は、 安定した食料を得ることができるようになりタンパク質を豊富に摂取できるようになった人類は急速に脳が発達した。

 

 

脳は常に最適な行動を”効率よく”行うための選択をする。

 

 

狩りに成功したとしても、仕留めた獲物を狙って別の捕食者が表れるかもしれなかった過去において人類に必要なことは常に余力を残し、不測の事態に対処することであったが、走らなくても食料が得られ、生命の危機にさらされることのない現代において、狩猟本能だけが失われ、余力を残し効率を求めるという脳の働きだけが残されたのではないか。

 

 

過去の人類にはガン・心臓病・脳卒中・糖尿病・鬱・高血圧は存在していない。

 

もしかすると 走れば、僕たちは失ったものを取り戻し、これらの病気を予防することができるのかもしれない。

 

 

もう一つ、印象に残ったのは僕は「GO WILD」を先に読んだので、「Born to RUN」と「GO WILD」の共通点を探した結果、どちらの本も走ることの重要性を運動不足に解消によるダイエット効果とか、病気予防などのメリット以外を提示してくれている点だ。

 

 

それは楽しんで走ることの重要性。

 

 

「Born to RUN」には確かに某ランニングメーカーのランニングシューズが、人間の脚に悪影響を与えている事実が書かれ、某メーカー自らが研究し、裸足に近い感覚で走るためのシューズを開発したエピソードが書かれている。

 

 

この本を書いた著者は、ランニングをすると脚を痛めてしまうという悩みを持っていたが、タラウマラ族式の走り方に変更し、自分にあったクッションの少ない靴を見つけることで足の痛みを感じずに走れるようになるという物語も本には描かれている。

 

 

テクノロジーによって生み出された過度なクッションが入っていない平らな靴を履いてランニングすることが本来人間が持つ走り方である、というセンセーショナルな内容だけが強調されがちだが、裸足感覚の「ベアフット シューズ」を買って走ること=人間本来の姿に戻る走り方が身に付く、という安直な解決方法は本では決して示されていない無い。

 

 

走ることのメリットをたくさんのバイオテクノロジーによる科学的な根拠によって示され、走ることによって得られる価値(多くの病気や鬱、脳の発達など)が理解できたとしても、結局は走るという体験を通じて何らかの楽しさを感じられなければRUNは続けられない。

 

 

僕達は走らなくても食事にこまることはない、走らなくても娯楽はたくさんある、走らなくても病期になれば病院に行けばある程度の確率で病期は治る。

 

 

僕は走ることを目的とせず、友人と一緒に走る、自然の中を観光気分で走る、知らない道を走って街を探索する、など「走る+何か」を最初は作るべきだと思う。

 

 

僕は家族や友人と一緒に走る(または歩く)ことを選択した。

 

 

おかげで毎朝20分と時間は短いが走ったり、ウォーキングをしたりという習慣がいまのところ続いている。

 

 

追追記「足についての本当の知識」を読みました。

 

極端にいえば現代人(特に日本人)は内股気味で立ったり歩いたりしている。その影響によって足首から膝までが内旋し「オーバープロネーション」という状態になってしまっているという。

 

 

この状態のヒトは大体扁平足になるそうです。

 

 

正常の足は地面に接地するときは柔らかく衝撃を吸収する足をつくり、前にすすむときに地面を蹴る段階で硬い足を作る、という動作を自然に行いますがオーバープロネーションのヒトはこの動作が上手く行えず全身の機能障害を引きおこすそうです。

 

 

この本にはあまりページ数は多くありませんがRUNについても触れているんですが、踵からの接地に関しての意見が面白い。

 

 

裸足で走ればヒトは自然と踵着地からつま先着地に変わる→て着地衝撃を軽減させ、関節にかかる負荷が減少するという理由から裸足ラン・フォアフットランが注目されました。

 

しかし、本によるとそもそもオーバープロネーションを起こしている足のヒトは接地による衝撃をうまく吸収できないのが問題であって、踵接地が問題であるわけではないと主張しています。

 

 

本では走法よりも踵をしっかりと固定できるオーバープロネーションモデルの靴を利用することを推奨しています。

 

 

この本はフォアフットを決して否定しているわけではありません。

 

 

本の主張はあくまでもオーバープロネーションしている足を持つヒトの危険性であり、この状態のヒトがフォアフットで走ると高確率で怪我をすることから、まずはオーバープロネーションモデルの靴を履いて踵から着地したほうが自然と楽に走れるのではないかという説を提唱しています。

 

 

自分の足がオーバープロネーションかどうかは自己判断は難しいですが、扁平足・外反母趾・内股を自覚できる場合は可能性が高いと判断できると思われます。 

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